2014年の活動

2014年4月25日からミャンマーに行って来ました。
今回はミャンマーで奨学金を始めて10年になる節目の年です。
いつも通訳をしてくれるオウンミン氏は、休暇中に1週間僧侶になり修行をしていました。
後光が射した仏像のようで、思わず拝んでしまいそうですが、果たして煩悩は除かれたのでしょうか?

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翌4月26日、パコック市に到着。スージーパン僧院で挨拶した後、ミャンマーで手術を中心とした 医療活動をすることで有名になった吉岡秀人先生の団体・ジャパンハートが建てた盲学校の 新校舎を見に行きました。吉岡先生は手術だけでなく、孤児院の経営にも乗り出し、今や 日本の医療NPOのトップとなられ、その腰の座った活動にはいつも敬服させられます。
今や希少種となってしまった大和撫子の奥様・春菜先生の支えが非常に大きいのは吉岡先生を知る関係者
みんなの一致する意見ですが・・・。
     
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学校の敷地内に盲目の手相見がいました。
目が見えないのにどうやって手相を見るのか尋ねると、触った感覚と、中国の易のように生年月日から今現在の運勢がわかるのだそうです。
外国人の私が見てもらうと、その後、何人ものミャンマー人が見てもらいたがり、この日の手相見の仕事は大繁盛になったようでした。

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お坊さんたちに食事の御布施をした後、奨学金の授与式を行いました。

夜は奨学生や先生たちと食事会。

医学生の姉弟の学生時代もあと僅か。
姉のミャッテターキンは来年、弟のヘインテココは再来年の卒業です。

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今年度は奨学金を始めて10年目なので、次の10年もがんばるつもりで、奨学生の人数を1人増やしました。
また、ミャンマーの物価が急速に上がっているので、一人当たりの額も増やしました。

 

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中学・高校6年間の奨学金5人分、250万チャット、医学生2人の1年分の奨学金、100万チャット、英文科博士課程の奨学金、40万チャット、建築課の奨学金20万チャット、学校の修復費200万チャット、計610万チャット贈与しました。

その内、島田啓子様と本村千鶴子様から奨学金の一部を、
林惠子様から学校修復費の一部を援助していただきました。

 
DSC024291[1]     奨学生たちと記念撮影。父の分骨を納めたパゴダの前で。

 

 

スージーパン僧院の近くには、信者さんたちのボランティア団体があり、急病人が出た時は救急車を運転して大きな町の病院に運ぶのですが、今回悲しい出来事がありました。
夜中に急病人が出て、運転するボランティアの男性の奥さんも具合が悪かったのですが、急病人が優先と8時間かかるマンダレーまで急病人を運びました。

ところが、帰りに車のタイヤが破烈して車が横転し、運転していた男性は肋骨が骨折して心臓に刺さり死亡。人助けをして、自分は事故死する結果となってしまいました。

翌日、犠牲になった信者さんの家にオウンミン氏と弔問に行ったのですが、奥さんと娘さんが遺影を抱えて泣き崩れており、本当に心が痛みました。
シートベルトで防げたかもしれない事故でしたので、今後はシートベルトを徹底 するよう皆で話し合いました。

 

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4月29日、マンダレーに移動。富山医科大学に留学経験があるマウンマウンテ先生のクリニックを見学しました。

先生は今年、伝統医学大学の鍼灸部門の責任者になりました。
2002年に私が初めてミャンマーで鍼灸を教えた時の鍼灸研修の1期生でもあります。

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薬用オイルを塗りながらマッサージして治療する プットック
インド医学の流れを汲むベッディッサの治療法の一つです。

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4月30日

伝統医学大学にて鍼灸用針とモグサの贈呈式。
針7000本とモグサ7kgを贈呈しました。

        DSC024531[1]       いつも針を寄付して下さる角本商会への

       感謝状です。

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マンダレーの近くにインワという町があるのですが、まだ行ったことがなかったので、見に行きました。
渡し舟にバイクを載せて河を渡ると、遺跡や廃墟が広い場所に点在しています。バガンよりも廃墟としての風情があります。

 

 

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田んぼの横にある普通の家がレストラン スカイビールと呼ばれるココヤシの樹液を発酵させた酒を飲んでいるところ。甘酸っぱくて美味です。             家の横で機織りをしている娘さんたち
DSC026071[1]ナガヨンパゴダ DSC026531[1]旧知の僧ナンドーオウウンター師も元気でした。

5月2日マンダレーからの帰り道、
メイッティーラに寄りました。
8年ぶりです。

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DSC026381[1]ナガヨンパゴダの仏像。

素晴らしいナゴヨン(ナーガがブッダ を 守っている様式)が揃っています。 

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DSC026591[1] 以前火事で焼けた市場は元に戻っていました。
メイッティーラは昨年仏教徒とイスラム教徒の
宗教対立で焼き討ちが起こり、今もその余波を
引きずっています。元々は単なる商業取引の
トラブルだったのが、互いに行き過ぎた報復から
宗教紛争に発展しました。イスラム教徒による
仏教僧3人の拷問と殺害の報復でモスクが焼かれ、
今も1000人を越すイスラム教徒が避難民として
郊外で避難所暮らしをしています。モスクはまだ
焼け落ちたままでした。人を幸せにする為の宗教が、
人を不幸にしているのは悲しいことです。
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カラウェイの形をしたファンドーウーパゴダ
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メイッティーラは第2次大戦中、日本軍と英印軍の間で激戦があり、十数万人が死傷したところです。

シュエ僧院境内にある戦没者慰霊碑にお参りして来ました。

            夜のナガヨンパゴダ
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5月4日
ヤンゴンに戻り、以前ミャンマーで暮らしていた時に住んでいたアムダのトレーニング センター跡を訪ねました。ここはアムダからミャンマー政府に譲られ、使われなくなって久しかったのですが、3年くらい前から助産師の学校兼病院となり、助産師の卵たちがいました。
以前住んでいた時に幽霊が出てそれをお払いした話をすると、興味津々で聞き入っていました

 

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DSC027231[1] 5月5日、ヤンゴンの伝統病院に鍼灸用の針3000本、
モグサ2kgを寄贈しました。
他にもオウンミン氏の所属するボランティア病院に鍼灸用針2000本、モグサ1kgを寄贈しました。

今回の活動はこれで終わりです。
最後まで付き合ってくれたオウンミン氏、
いつもお金の事で助けていただいている清岡道治先輩、奨学金を補助して下さった日本の支援者の方々に感謝いたします。

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