2013年の活動
2013年4月末から例年のようにミャンマーに出かける予定でしたが、
長年ミャンマーへ同行した父が1週間前に
急逝したため、延期となりました。
奨学金は中断する訳にはいきませんので、
予備費を預かっていただいているヤンゴン在住の清岡氏にお願いし、
更に足らない分はお借りして、スージーパン僧院学校へ補充しました。
マンダレーの伝統医学大学へ寄贈する鍼灸用の針とモグサは
初めて船便で送りましたが、着くのに3ヶ月もかかった上、
書類の準備でスタッフが何百キロも移動して用意したものの
税金も免除されず、手間と費用が随分かかる結果となりました。
2013年の奨学金は
中学・高校6年間の奨学金4人分、160万チャット、
医学生2人の1年分の奨学金、100万チャット、
英文科博士課程の奨学金、30万チャット、
建築課の奨学金20万チャット、
学校の建物補修費32万チャット、
計342万チャット贈与しました。
その内、1人分の奨学金は林さまより御協力いただきました。
針とモグサは
マンダレーの伝統医学大学へ針1万本とモグサ8kg、
ヤンゴンの伝統医学病院へ針2千本とモグサ1kg、
仏教系のボランティア病院での治療用に
針3千本とモグサ1kgを寄贈しました。
その内5千本の針は今年も角本商会さまより寄付していただきました。
4月・5月のミャンマー行きが延期になったため、
12月末からミャンマーに行って来ました。
奨学金の運用のチェックをするのと、
奨学生たちを修学旅行に連れて行く約束を果たすのが主な目的です。
今回は招き猫薬局の斉藤正勝さんが同行。
鍼灸用の針とモグサ、25kgの荷物を運びました。
おかげで斉藤さんの荷物は手荷物1こだけ。
カバン1つの軽装となってしまいました。
食べる機会のないスタッフのために、 日本人経営の居酒屋へ行きました。 ミャンマーへの日本人ビジネスマン 増加により、居酒屋が増えていて、 ミャンマーでは値段が高いにも拘わらず、 多くの日本人で賑わっていました。 数年前には考えられなかった光景です。 |
翌12月27日、朝一の飛行機に乗り、 バガンへ到着。 車に乗り換え、パコックの スージーパン僧院へ。 斉藤さんが 学校の運営に協力したいと申し出て、 低い机10台、 高い机10台、黒板10枚、 幼稚園の床修理用マット4枚を 寄贈されました。 |
夜は奨学生たちや地元のボランティアと会食。
成人に達した医学生ヘインテココとビールで乾杯しているところです。
12月28日から1泊2日の修学旅行。
トラックを2台運転手付きでレンタルして分乗し、まずはポッパ山の麓にある
タウンカラッに到着。ここは精霊ナッ神を祭ってあり、そのお使いである猿が
大切にされています。
次に、世界三大仏教遺跡であるバガンに移動し、
シュエサンドーパゴダから夕日を見ました。
夕食をパクつく奨学生たち |
翌朝、早起きして日の出を見に行きました. |
観光用の熱気球の群れ。 ミャンマーが民主化して観光客が増えたため 熱気球も随分増えてデザインも派手になっています。 |
昼頃パコックに戻り、夕方の列車でヤンゴンに向けて出発。
エヤワディ河に架かる 鉄橋を撮す斉藤さん |
12月31日、5時半のバスでチャイティーヨーに向け出発。
途中ですれ違った ミャンマー陸軍の装甲車。 初めて見ました。 |
昼頃チャイティーヨーに到着。 |
今回の斉藤さんの目的は、 動物生薬の調査。 夢中で写真を撮っています。 |
象歯。 皮膚病に使うそうです。 |
虎の牙の上下 |
虎の全身骨 |
熊の掌と熊胆 | 熊の毛皮 |
象皮と象の足の裏 ニシキヘビの皮 | カモシカの油で マッサージを受ける斉藤さん |
ヤマアラシの針。 先端に毒があり、 ここで刺激すると 肩こりなどの痛みに 良く効くそうです。 |
2013年最後の夕日 | 大晦日のチャイティーヨー |
チャイティーヨーからの初日の出 |
新年のチャイティーヨー。花やロウソクが飾ってあります。
ただし、ビルマ暦の正月は4月頃水かけ祭の時なので、
正月と言うより新暦の新年のお祝いです。
帰りはバゴーに寄り、戦没者慰霊碑に
お参りして来ました。
この慰霊碑を置いて下さっているお寺も学校を持ち、
貧しい地区で子供たちの教育を担っておられました。
日本と違い、寺の境内に墓を置かないミャンマーでは
お寺に慰霊碑を置いて下さるのは例外的な行為で、
いかに日本人に対して手厚い処遇をして下さっているか
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
2013年はミャンマー行きの延期はありましたが、
何とか無事に活動を終われました。
SEEDの活動を始めて10年。
やると決めたからには10年は続けなければと
思ってここまで来ましたが、たくさんの方々に
支えられて何とか10年やれました。
これを節目に次の10年も頑張っていきたいと
思います。
奨学金を始めた大きな理由の一つである父は
逝ってしまいましたが、日本と分骨を納めた
スージーパン僧院があるミャンマーの2国から
応援してくれると思います。
日本の方々、ミャンマーの方々、協力してくれる家族、
そして亡き父に心からの感謝を込めて。